ロシアがウクライナへの侵攻を開始。戦争が始まってしまいました。。
恥ずかしながら、緊張状態にあったことすらも知らず…。なぜ戦争が起きたのかを知る糸口になるかもしれないと鑑賞。
2013年11月21日〜2014年2月23日、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領によるEU署名見送りに端を発して起こった市民運動「マイダン革命」を市民側の視点で捉えた、とても貴重なドキュメンタリー。
思いっきりネタバレありで、思いつくままに綴ります。
「ウィンター・オン・ファイア: ウクライナ、自由への闘い」作品詳細
- 原題:Winter on Fire:Ukraine’s Fight for Freedom
- 上映日:2015年製作
- 制作国:イギリス・ウクライナ・アメリカ合作
- 上映時間:98分
- 監督:エフゲニー・アフィネフスキー
- 配信プラットフォーム:Netflix
「ウィンター・オン・ファイア: ウクライナ、自由への闘い」 あらすじ
国家のよりよき未来を願う平穏な学生デモが、過激な暴力革命、そして大規模な公民権運動へと変貌していったウクライナの93日間を追ったドキュメンタリー。
Netflix
「ウィンター・オン・ファイア: ウクライナ、自由への闘い」 感想
よくこれだけの映像が残せたなと、感嘆の気持ち。キエフでの学生による抗議活動が日増しに大きいうねりとなり広がっていく様。そしてそれを弾圧しようと躍起になる政府側。胸が痛くもあり熱くもあります。
ただ、製作しているのはウクライナ・イギリス・アメリカなので、視点が偏っている可能性はあり、そこは注意が必要かもです。
以下、ネタバレ含む感想です。
革命のはじまり
映像は、2014年2月20日から始まります。銃声・散乱する瓦礫や遺体など、あたかも戦争中のような状況の中、ヘルメットをかぶった若い男性が「マイダン(広場)には遊びにきたわけじゃない。僕は絶対逃げない」と語ります。
- 1991年ソビエト連邦から独立
- 2004年親ロシア派大統領ヴィクトル・ヤヌーコヴィチが大統領に。
- 国民は不正選挙を疑いデモを行い、再選挙により勝者はユシチェンコに。(オレンジ革命)
- 2010年ヤヌコーヴィチ大統領に選出。
- EU加盟を公約するも、ロシアとの関係を深め、2013年の秋、EU加盟署名する寸前、国民は西(ヨーロッパ)をヤヌコーヴィチは東(ロシア)に目を向けた。
- 2013年11月21日アザロフ首相がEU加盟プロセスを停止することを発表。
遡って2013年11月21日、公約を反故にされ、多くの国民が憤る中、ムスタファ・ナイエムの10時半に首都キエフの独立広場に集まろうというFacebookへの投稿がキッカケとなり、人々が広場(マイダン)に集い始めます。最初は300人程度だったデモ隊も次第に膨れ上がり数千人規模に拡大。
降りしきる雨の中、頬を紅潮させた若者が「政府が国の未来と若者の夢を台無しにしたからだ。自分だけでなく仲間や子どもの未来を守りたい」と、ここに来た理由を語ります。
老若男女、そして様々な職種、子ども、野党党首のクリチコまでもが広場に駆けつけました。
11月25日、ウクライナの国旗が振られ、「ウクライナはヨーロッパの一部だ」「ヤヌコーヴィチよ署名か地獄か」と叫ぶ人々。
そして、ヤヌコーヴィチ大統領は「EU統合を支持する人々に敬意を表する」と声明を出しますが、裏切られたと感じている人々の勢いは増し、EUとの協定署名の要求を突きつけます。翌日11月26日に行われるEUとの協定署名を大統領がすると信じて。
いやが応にも緊張が高まる映像での幕開け。一気にその場に紛れ込んでしまったかのような感覚に襲われます。
そして起きたデモ。画面上からでも、そのエネルギーのうねりを感じ、ただただ圧倒されます。
政府の裏切り、そして対立へ
国民の声にも関わらず、EUとの交渉は破断。すると国民は、ヤヌコーヴィチの退陣を要求。ここから一転、政府側は強硬手段に出て、警察がデモを取り締まるようになります。しかも「ベルクト」という警察特殊部隊が。
向き合う、民衆とベルクト。押し合いが始まる中、盾と警棒を持ったベルクトは、警棒を振い、倒れた人を容赦なく殴り、足を引っ張りどこかけ引きずっていくベルクト。逮捕される人、ケガをして救急車で運ばれていく人で溢れ、広場は騒然となります。
暴力と喧騒、血を流しケガをする人々など、衝撃のあまり息を飲む映像が続きます。。
警察が国民に躊躇なく暴力を振るう。それも無抵抗な国民に。
国民が公約を守れと声を上げて始まったデモが、警察の介入により、一気に一触即発の状況になっていく。得体の知れない何かが足元から崩れ落ちていくような恐ろしさを感じます。
ここまで暴力的な行動の意図はなんなんだろう。どんな命令を受けているのだろう。
警察からの呼びかけは一切映っていないので、何を求めていたのかもわからない恐怖も相まって、暗澹たる気持ちに。。
団結を強める人々
広場から逃れ今度は聖ミハイル黄金ドーム修道院に集まる人々。草の根の段階でデモを潰そうと、暴力的な手段にまで出た政府。それが逆効果となり、修道院前の広場を人々が埋め尽くし、より一層の団結力が生まれ、そして100万人の大行進が始まります。
「ヨーロッパには大切なものが2つある。それは自由と人間としての尊厳だ。この2つを人から奪うことは誰にもできない。この基本的な権利のために、我々は闘う。ウクライナよ団結しよう」
職業も性別も年齢も、なにも関係ない、ただ自由を求めて、広場に集う人々。圧巻の光景。
最初は軽い気持ちで始まったデモなのかもしれない。でも、この瞬間、使命感に変わったんだと思います。抑圧・弾圧は、内なる炎を燃やすだけだと。
「怖いけど、明日は怯えたくない。だから今日立ち向かうの」という言葉が重い。。
今、日本に住む私は、自由も尊厳も認められていて、むしろそれを考えることもなく、当たり前のものとして疑いもしていません。でもほんの掛け違いで世界はガラッと変わってしまう。よくも悪くも。世の中に敏感な人間でありたいと改めて思いました。
再び起きる衝突
怒りに燃える人々は、大統領府を占領しようと、大統領府近くのバンコヴァ通りへと迫ります。あくまで平和的なデモを目指す人々に対し、ベルクトは扇動者をデモ隊に潜入*させ、攻撃の口実を作り、人々に襲いかかります。
(*これは映画の中で語られていることで事実かどうかはわかりません。)
マスク姿の市民が重機で警察の列に突っ込みます。(おそらくこれが扇動者)
そして鳴り響く爆発音と閃光。まさかと一瞬息を飲むも、これは警察が発した閃光弾や催涙ガス。
何発も放たれる閃光弾と催涙ガスの煙が立ち込め、騒然とする通り。そしてベルクトがなだれ込み、人々は逃げ惑います。転んだ人や無抵抗の人を警棒で殴ったり蹴ったりするベルクト。そして頭から血を流し倒れこむ人々が次々に映し出されます。
その後、デモ隊はバリケードを作り、キエフ市庁舎を占拠します。市庁舎内では、ヤヌコーヴィチ大統領の写真を足で踏み、ピアノの演奏、食事の配膳、ダンスをする人々も。
一方、広場には埋めつくさんばかりの人々が集まり声を上げ、周りは警察隊が囲み様子を伺っています。警察隊に向かい必死に政府に従わず国民に寄り添い支えてくれと懇願する一人の老人。
どんどんとエスカレートしていく暴力にただただ言葉を失います。
「なんで平気で殴れるんだ。君たちも同じウクライナ人だろ」という言葉が胸に突き刺さります。
ほんとなんでこんなことが起きるんだろうか。。
老人の言葉に、一瞬でしたが、葛藤をかいま見せる警察隊員が印象的でした。
己の信念に従い行動を続けるデモ隊と、己の意思に関わらず職務を全うせざるを得ない警察隊。
政府からの命令と国民との間に挟まれた警察隊の中には、やりたくもないことをやらせれて今でも苦しんでいる人がいる気がしてなりません。。
見出そうとされる解決策
EUと米国の代表がヤヌコーヴィチ大統領と会談。外交的な解決策を模索する中、完全武装したベルクトがやってきて広場と包囲します。人々を排除しようとするベルクトと持ちこたえようとする人々で衝突が勃発。小康状態が続く中、人々は国家を歌い、ミハイル修道院では、タタール人がキエフに侵入した1240年以来、初めて院の全ての鐘を鳴らし人々に協力の意思を伝えます。
結果、1万5,000人もの人が集まり、ベルクトも人々に手を出すことができずに終わります。
EU外務安全保障政策上級代表であるキャサリン・アシュトンは、ベルクトによる武力行使に強く抗議し、この集会が平和な集会であることを強調。
日が進むにつれ、人々は広場にバリケードを作り、頑丈な防壁を造りあげていきます。そして広場防衛隊が生まれ、より組織的な隊となっていきます。
広場は学校だったと語る12歳の少年。広場の人はみんな家族だというセルギイ・ニゴヤン。このデモ隊は、国籍も言葉による壁もなく、ただ体制に反対する人々が集まり、様々な宗教が一堂に会したが衝突することはないと。新年を迎える瞬間も、大勢の人々が広場に集まり、ともに国歌を歌い、どんどん団結が強まっていきます。
人々の団結の力が、警察を退け、より強固になっていく過程がつぶさに映し出されます。
国というのは一人一人の国民の集まりなんだということ、一人一人の力は弱くても、集まり団結すれば大きな力になるのだと伝えてくれる気がしました。
再び起きる政府の裏切り、そして激化するデモ運動
ウクライナ議会開催。政府は、対話の代わりに、ヘルメットや5台以上の車列での移動の禁止、インターネットへのアクセス規制など、反デモ法を可決。人々はヘルメットの代わりに鍋をかぶり抵抗を始めます。
毎週末開かれる民会で、具体的な計画を立てようとしている中、野党の党首も現れますが役に立つ提案はなく、無策ぶりに人々は失望し、政治家を追い払い、そして悪法の撤回を求めてウクライナ議会に向けて移動を開始します。
途中フルシェフスキー通りで警察隊が道を塞いだため、道を開けて欲しいと説得する中、一部の民衆が騒ぎを起こし、クリチコ(野党の党首)は群衆をなだめようとするが耳を貸さず、火炎瓶を投げるなどの行動に出てしまいます。
今度は、我慢の限界を超えてしまった人々が警官隊に襲いかかる事態に。その後も民衆による投石や火炎瓶を投げるなどの暴力行為は続き、それに対抗するために、警官隊も威力を増したゴム弾なども使用するようになり、衝突は激化していきます。
2014年1月22日、疲労の見え始めた人々に対して、警察隊、ベルクト、ティテュシュキー(政府のお金で動く悪党)の順で一斉攻撃を開始。激しい衝突が起きます。ベルクトはケガ人を探す赤十字隊にも発砲。救護所を攻撃して破壊、ゴム弾に混ぜて実弾も使用するなど、暴力もエスカレート。そして遂に死者も出てしまいます。
まさかの反デモ法の制定。こんなの国民の声を聞かないどころか封じ込めると宣言したようなもの。我慢の限界がきてしまう気持ちもよくわかる。声をあげただけで弾圧され、声をあげることすらも禁止しようとするなんて、バカにするのもいい加減にしろ!と。
暴力が暴力を呼び、互いに止められない状況に陥っていく様をみて、キレイごととわかっていても、暴力で対抗しないで欲しかったと思ってしまいました。。暴力的な革命だったと、のちに言われてしまわないために。。相手にこちらの非を言い訳にされないために。。
もはや警察からの一方的な制圧ではなくなり、双方の暴力、破壊、立ち上る炎、民衆側の暴力も激しくなり、息が苦しくなる光景が続きます。
突きつける要求
警察も取り締まりを強化する中、大勢の活動家グループであるアウトマイダンがベルクトに逮捕され、自体はどんどん緊迫していきます。
その晩、クリチコ(野党の党首)が広場にやってきて、ヤヌコーヴィチ大統領と話をし、ベルクトはもう暴力を振るわない、逮捕者は全員釈放するという約束を取り付けてきたと話します。
しかし、裏切られてきた人々は、信じることができません。
そしてデモが始まってから90日目、デモ隊は、自分たちの政治的要望を提出します。
- 政治犯の解放
- 議会と大統領の間で権力のバランスを保つこと
- 大統領選の実施
3つの要求を認めれば、抗議活動を解散するというこの要望書は、承認される予定となり、2月18日議会に向かって行進が始まります。
広場からマリインスキー公園に到着。しかし、そこに待ち受けていたのは道を塞ぐベルクトとティテュシュキーでした。催涙ガスを放ち、人々に襲いかかります。今まで以上の暴力に騒然とする公園に、煙が充満してきます。
煙はインツティトゥーツカ通りが火元となっており、そこへ向かう人々。そこでも警官隊と民衆の衝突が発生し、あちこちで火が燃え上がります。激しくなる衝突に、続出するけが人。抵抗が難しくなった人々は議会を目前に独立広場まで引き返すことに。しかし独立広場も、警官隊が押し寄せ警棒と盾を打ち鳴らし威嚇を続けます。
「僕らも君も同じ国の仲間だ。横暴な命令には従うな」と訴えるも止まない攻撃。あちこちで火の手があがり、拠点となっていた労働組合会館も攻撃を受け、さらには装甲車でバリケードに突っ込んでくるシーンも。。命をかけて戦った夜通し続いた衝突で、40人の死者と200人の負傷者が出てしまいます。
歯止めが効かなくなったかのようなあまりにも酷い暴力の連続。信じられないような光景が続きます。人々は、ただ公約を守れと大統領に言っただけだったのに。なぜこんなことに。。
最初の段階で、ヤヌーコヴィチ大統領が要求を聞き入れて、公約通りEUとの協定署名をしていれば、こんなことにならなかった。この光景をヤヌコーヴィチはどんな思いで眺めていたんだろうか。本当に悔しくてたまらない。
大統領は権力があるのかもしれない。でも権力は国民が与えたものだ。信頼して託したものだ。勘違いしてはいけないと強く思う。本当に。
民衆の決意
一夜明け、被害の様子が明らかに。激しい衝突の形跡が残る中、修道院には、ウクライナの各地から医療従事者が医療機器を持ち込み治療にあたります。
悲しみと戦いの爪あとが色濃く残っていた2月20日、突然銃撃戦が始まります。最初の銃撃は誰が撃ったのかがわからず広場は混乱。
民衆はベルクトが撃ったと思い、警官隊は民衆が攻撃してきたと思い、広場から退却し始めます。しかしベルクトは広場にとどまり、ここからベルクトによる銃撃が始まります。
聖職者でも、ケガ人を助けている人でも、容赦なく行われる銃撃。響く銃声を物ともせず、緊迫とした状況の中、負傷者を次々と運んでいきます。
ここで冒頭の若者が再び登場。まさに衝突が起きている現場から、母親に「大好きだよ」と電話で告げるのでした。
次々と運び出される遺体と棺。涙する人々。。
「どうしても納得できない。人間は戦争を繰り返してきたのに、まだ殺し合いで問題を解決しようとしている」と涙で語ります。
深い悲しみの中、クリチコ(野党党首)が広場に現れ、大統領選を12月に行うという決定が議会でなされたと告げます。クリチコは小さな勝利を得たと語りますが、人々は納得できません。
このままでは、生き残りも追い立てられ、刑務所に入れられてしまうかもしれないのです。
そこで市民が壇上にあがり、クリチコを横目に、「後ろにいる政治家に市民の意思を知らせよう。ヤヌコーヴィチが辞めるまで1年も待てない。明日の朝10時には辞任してほしい」と。
仲間を殺されたのに、クリチコは殺人犯と握手をするのかと激しく責め立て、そして、明日朝10時までにヤヌコーヴィチが辞めなければ武力攻撃を開始すると宣言します。
呆然とするクリチコ。
エスカレートする弾圧に言葉を失います。。同じ国民同士で、なぜ争わなきゃいけないのか。なぜ狙撃ができるのか。
そして野党党首クリチコの的外れ感。。どうしてこうも政治家は国民の意思を読み取れないのか。そもそも読み取ろうとしていないとすら思ってしまいます。。
これだけの犠牲を目の当たりにして、死を覚悟して闘ってきた人々に対して、小さな勝利を得たと言ってしまえる神経が本当にわからない。どれだけ裏切ればいいのか。
成された革命とその後
2014年2月22日夜明け前、ヤヌコーヴィチはキエフをヘリで脱出。そしてその日の午後、ウクライナ議会は、ヤヌコーヴィチ大統領の辞任と大統領選を5月25日に行うことを伝えます。
歓喜に沸く人々。
「23年間独立は形だけのものだった。でも大勢の犠牲により真の独立になった。」
「子どもたちの未来を守るために、人々は死ぬ覚悟だった。国民が持つ力を見せつけたんだ」
「あの小さな広場は、大いなる勇気に満ちていた。」
「ウクライナ独立後に大人になった世代は、自由な人間として育った。自由な人は決して屈しない。」
「皆が愛国心で一つになり、神の存在を感じていた。」
93日間で死者は125人、行方不明者は65人を数え、負傷者は1,890人に。
マイダン革命の数ヶ月後、ベルクトは永久に解体。ウクライナ新政府はEU連合協定に署名しました。
ヤヌコーヴィチはロシアに亡命。その後、ロシアは親ロシア分離派を支援して軍を送りクリミアを併合。ウクライナ東部でも親ロシア派の勢力は拡大。ウクライナ政府との武力闘争が激化。2015年春の時点で、紛争の犠牲者は6,000人となった。
革命が成し遂げられた瞬間は、胸が熱くなりました。多くの犠牲が出てしまったけれど、民意が反映されたと。でもやっぱりここまでしなければ聞き入れられないのかと、憤る気持ちも残ります。
それに追い打ちをかけたのが、最後の文章です。
革命は果たされたけど、すぐに内戦が勃発。クリミアはロシアに併合され、なんと2015年春の時点で犠牲者が6,000人。今回のデモの比じゃありません。。
そして、今のロシア侵攻につながっています。
武力ではない方法での解決を見出すことはできないのだろうか。ただただ歯がゆいです。
まとめ
映像がもつ力をひしひしと感じる作品です。ここまでの映像を残していたというのは、歴史にとっても貴重な資料となりますし、なにより実際に何が起きたかの証明ともなります。
ここに映していないもの、特に政府側の映像がないため、判断が難しい点も多いです。
そもそもなぜEU協定署名を破断にしたのか。政府側はなぜ武力行使にでたのか。(あるいは先に武力行使にでたのは本当に政府側なのか。)警察側の犠牲者・負傷者はどうだったのか疑問に思う点はもっともっとあります。
あくまでデモ隊側という視点ということは肝に銘じつつ、自由と尊厳のために闘ったウクライナの人々に敬意を表するとともに、今日本に住んでいる私は、日本が戦争にならないために、何ができるのかを考えていきたいと深く感じさせるドキュメンタリーでした。
本作をきっかけに、なぜロシアはウクライナに侵攻したのかを、もっと考えたいと思っています。
それについては、また別の記事で公開したいと思います。
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